鈴木絢音さんに話したかったこと。

鈴木絢音さんのオタク。 @Halapekov

絢音さんがご紹介なさった本を読んでいます。

3月28日にご卒業なさってから、およそひとつきが経過した。

令和の岩戸隠れのように私は捉えていたけれども、Instagramと微博を牙城にときどき更新してくださるとのお触れがあった。事実、『乃木坂工事中』や『水曜日のハウマッチ』、ABS秋田放送の『えび☆ステ』といったお仕事関連の情報や、餃子を焦がした、一月に大潟村からもらったサキホコレを食べきった、櫻坂やアンダーのライブを見に行ったなどなど、嬉しいお知らせが少なくなかった。

朗報。尊い。絢音さんがいれば世界はOKなのである。

絢音ちゃんめのように毎日摂取したいなどとぬかすのはバチが当たるってもんだ。まいちゅんがファンクラブを設立したと聞いて羨ましいとは思ったが。ぞのさんのアパレルショップが伊勢丹で催事出店したと聞いてそういうのもいいなあとは思ったが。

 

本題。

私は本を読みます。多いときは月にだいたい……何冊くらいでしょうね。

ともかく、ご卒業から五週間ほどの間で絢音さんが紹介してくださった本を11冊読んだ、ので手短に紹介したい。再読したものも含まれるが気にしない。

(ちな、絢音ちゃんブックスのお気に入りは、カズオ・イシグロ日の名残り』、小川洋子『ことり』、中島らも『今夜、すべてのバーで』あたりかな。『赤と青とエスキース』も良い。しかし、絢音さんの絶賛に引っ張られているようにも思う。ショウペンハウエルも呆れ果てるだろう。私は、絢音さんが如何にしてその本を手に取り、どのような感想を抱いたのかを考えるのが好きなのだ。ミーグリで尋ねることは最早できぬ。泡沫オタクの空想にすぎぬ)

 

中島らもガダラの豚 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』集英社文庫

紀伊國屋書店新宿本店の『鈴木絢音の本棚』という企画にて「極上の読書体験」と紹介された本。誉れある10冊のうち小説はこの作品のみであった。つまり絢音さんの超お気に入りだ。2020年6月10日のブログとちゃんめも参照。

新興宗教、超能力、超能力バスター、呪術、密教ケニアなど怪しくて胡散臭いものがわんさか登場し、最後にはテレビ局で大乱闘とくる。90年代のにおいがムンムンするスラップスティックサスペンスとでも言えようか(このテレビ局というのがミソだと思っている。キー局の多くが2000年前後に社屋の移転を行っている)。昔のミーグリで「絢音さんは90年代のものがお好きですね」などと発言したことを思い出した。

元々は一冊の単行本として発行されていたらしく、たいそう重かったそうな。らもさんは『甲賀忍法帖』のような団体戦的群像劇を描きたかったと語っている。それ故かいささか冗長に感じるところもあった。ところがこのストーリーテラーの手にかかると、この一作がクラシックの楽曲のように思えてしまうのだ。ならば、絢音さんが好むのもむべなるかな。

 

中島らも『頭の中がカユいんだ』集英社文庫

表題作を含む4つの短編が収録されている著者のほぼ童貞作。ほぼってなんだって感じだがまあ素股くらいは経験していたわけだ。

表題作はイカれた妻帯者がちょっと家出をするお話。体験談ベースなの頭おかしい。

二作目「東住吉のぶっこわし屋」。まあこれは読まんで良い。

三作目「私が一番モテた日」。これは次の物語のための助走だ。一緒に酒を呑んでいた奴のモテ談義にはらわたが煮えくり返っていたのだが、初めてキスできたのも二十歳過ぎと聞いて急に優しくなっちゃったというお話。これはめっちゃわかるなー。本当に醜いね。

四作目「クェ・ジュ島の夜、聖路加病院の朝」。童貞社会人が接待で南の島にでも行って一皮むけるお話。ロマンチックな初体験にのぼせ、勝手に清純派と解釈したお嬢にチップをむしり取られ、おまけに淋病までいただいた。現実はかくや、童貞の悲劇だ。怖いなー。

以上、めちゃくちゃな作品しかない。しかし文章はやけにしっかりしているからすらすら楽しく快適に読めてしまうのだ。

 

中島らも『永遠も半ばを過ぎて』文春文庫

写植屋の主人公の部屋にかつて同級生だった詐欺師が転がり込んでくる。オカルト本を出して一発当てようじゃないかというお話。

ガダラの豚もそうだが、らもさんはよく下調べをするようだ。ガダラ永遠今夜には参考文献を載せている。といえども、基本は酒と薬物、オカルト、セックスをお笑いでのしをつけて包む。いいじゃないか。でもここから本番。

本書の91頁を開いてほしい。詐欺師が銀座の個展で作品を見るシーンだ。

そういう上品なもんじゃなくて、まさにバケツで消化のためにぶっかけたような二、三種類の塗料が、ささくれだった木の表面で「色の戦争」をやらかしていた。

実際は、スプレー缶式塗料を銃で撃って木の切り株に着色していたのだけれども、そこは問題ではない。このような光景を私は見たことがある。

www.youtube.com

【アート】鈴木絢音、真っ白いものを汚したい【電視台】【乃木坂46時間TV】

そう、絢音さんの電視台だ。

動画内で、「この企画は私が真っ白い空間を汚したいっていう衝動から生まれました。あー、本を読んでるときに出てきて」と明言なさっている。もしかすると、これが種本なのではと思った。

ちなみに、敬虔な信者たる私はこの作品展示の報を聞き、およそ二時間かけて海浜幕張まで向かった。最終日、五期生お見立て会が行われるとかで、オタクが集まっていた。図らずも嘆きの壁はお見立て会の会場入口の内部に設置されていた。冷静になるんだ。お見立て会が始まれば、オタクの出入りはほぼなくなる。その際に、監視付きで構わないから壁の前まで進み祈らせてもらえば良い。そしてお見立て会開始から少し間を取ってから守衛の女性に事情を話した。彼女は上官まで掛け合ってくれたが、結果的には却下された。私は、第三次中東戦争での勝利を待つしかないようだった。

とまあ、嘆きの壁は余談だが、らもさんのエッセンスが詰まっていてなおかつ読みやすいこの本が一冊目に最適だと私は考えている。

 

中島らも『今夜、すべてのバーで』講談社文庫

アル中が入院させられるお話。『魔の山』のようで今作が一番まともな気がするのだけれども、アル中で入院した体験をベースに小説を書くなんて普通じゃないかもしれない。酔いが回って感覚が鈍ってきたか?

下戸の私でも楽しく酔めるのが嬉しい。こういうテーマを書いているのに、説教臭くならないところが好きだ。

 

中島らも『砂をつかんで立ち上がれ』集英社文庫

この七冊目でらもさんシリーズは一区切りだ。絢音さんももちろん他にも読んでいらっしゃるだろうけれども、ご紹介なさったのはこの五作だ。私ものんびりと読んでいきたいと思っている。

中島らも氏を知ったのは2019年、朝日新聞の書評に絢音さんが登場したときのことだ。御大層な本を読んでいらっしゃる、しかし村外の書評で取り上げるのかというのが正直な感想だった。記事は好書好日で読める。

book.asahi.com

もちろん私はすぐに購入して読んだ。エッセイや書評集なのによくわからなかった。著者のことも作品もなにも知らないので、よくわからぬまま読み終えた。

結論から申し上げると、一冊目に選ぶ本ではないと思う。これはデザートのような一品なのではなかろうか。さすれば楽しめるであろう。

当時の私にとって、絢音さんのことがますますわからなく一冊であった。

 

チャールズ・ブコウスキー『死をポケットに入れて』河出文庫

著者が1991年から93年までにMacintoshにたまに書いていた日記エッセイのようなもの。奇しくもまた90年代が出てきた。アラフォーのらもさんがワープロに順応できないでいるときに、西海岸では死に際の七十代がにわかにワープロを使っていたんだなあ。

さて、正直に言うと面白くなかった。十年遅かったらネット掲示板のクソコテにでもなっていたのではないか。小金持ちの老いぼれが昼間に競馬に出かけてイキり散らすだけにしか思えなかったのだ。

よって、ここは絢音さんの思想にフォーカスしたい。

鈴木:酒! ギャンブル! みたいな感じの世界観が大好きなんですよ。

鈴木:私のなかで「本は人生の役に立つもの」という想いがすごく強かったんです。でも、ブコウスキー中島らもに出会ってからは、自分の意識を別世界に連れていってくれるような本を読むのが、癒やしの時間になることに気付いて。

乃木坂46 鈴木絢音 チャールズ・ブコウスキー、中島らもなど自分自身と真逆の作家が好きな理由【私の愛読書】 | ダ・ヴィンチWeb

最近は、共感型読書というものが流行っていると聞く。キャラクターに共感できるからすき、共感できないものは面白くないという姿勢を取る人が少なくないらしい。

絢音さんは他者に対して、読書の範囲では、心を開いている。どちらが分厚くて濃ゆい人物像を生み出すのか明白だろう。

さて、このインタビューを読む限り、ブコウスキーの本も何冊か読んでいるように見受けられる。ならば、もう一冊試してみることにした。絢音さんにならいくら賭けても負けやしない。

 

チャールズ・ブコウスキー『町でいちばんの美女』新潮文庫

結論から言うと、こちらはとても面白かった。短編がたくさん入っていて五百頁。裏表紙にこう書いてある。

卑猥で好色で下品な売女どもと酒を飲んでファックする、カリフォルニア1の狂人作家……それが私である。

粗野でウルトラ下品で馬鹿げている。らもさんとのシンパシーを感じるところもある。笑いを引き算して刹那的にしたような感覚だろうか。

まあ、お風呂につかりながら読む本ではないと思う。

 

鷲田清一『ちぐはぐな身体』ちくま文庫

私にもファッションにうるさい時代があった。幼稚園児の頃だ。なんでも、赤い靴だとかキュートなスカートなんかをはきたがったらしい。現代ならばLGBTだねぇ~ではかされたかもしれぬが、当時は一蹴された。そこで関心を失ったのかもしれない。

ちくまプリマー新書の前身シリーズとして1995年に発刊されたということで、古さは感じた。そして議論の組み立て方が断片的なように感じてしまい、正直私にはあまり理解できなかった。自分の存在はアンバランスでも、衣服がそのアンバランスを裏返して自由に変えてくれる??

これこそ絢音さんのご感想をお聞きしたい一冊かもしれない。

 

穂村弘『鳥肌が』PHP文芸文庫

日常に潜む”恐れ”を扱ったエッセイ。創作ではなくて?と思ったところもあるけどまあご愛嬌。

わからんでもないが繊細すぎる…と思う。著者が麻雀をうったらビビりまくるに違いない。知れば知るほど恐怖は明確になるし、それが幻想に過ぎないこともある。

「よそんち」というエッセイの中で、砂糖入り麦茶という飲み物が出てくる。友達に出してあげたときに、はじめて一般的な飲み物ではなかったと知ったとのことだ。数年前の『アルコ&ピース D.C.GARAGE』というラジオで砂糖入り麦茶の有無を議論する話があったことを思い出して、懐かしい気持ちになった。

「お見舞いの失敗」は、お見舞いの手土産に絵本を持っていったら絶交されたという話だ。著者はその話を聞いて、言葉を贈ることが改めて怖いと感じたという。

それを見たり聞いたりした者の心には必ず「意味」の解釈が入り込む。そこに致命的なズレが生じる可能性があるのだ。

これは絢音さんが折に触れて語っていたことと共鳴する。ブログやライブのMCで自分の意図したように解釈してもらえるよう気にしていたとおっしゃっていた。さらに、どう受け取るかはその人次第なのだから、思ったように発言しようと考えるようになったとも。国内随一のアイドルとして多くの人へ発信する立場で、国語辞典とねんごろになるなかで恐れは明確になり、同時に文脈の問題も認識したことと思われる。

そして絢音さんは恐怖と戦うことを選択した。「自分はこんな、ギャンブル漬けの人間には絶対になれないと思うので(笑)。」とおっしゃっていたが、絢音さんはいい勝負師になれると思う。

 

 

以上、絢音さんが教えてくださった11冊についてなにかしら書いた。絢音ちゃんブックス(造語)を本棚の一角に並べてみると、明らかに異空間が生じるのが面白い。

ちなみに、今は清水幾太郎『ジャーナリズム』を読んでいる。次はちくま新書の『東北史講義』を読もうかな。たまには自分で選びたいんだもの。

そして、願わくば『言葉の海をさまよう』が幻冬舎文庫あたりで文庫化されたら喜色満面だ。ついでに森川嘉一郎趣都の誕生』も復刊してください。

 

鈴木絢音さんに話したかったこと。

2023年3月28日、本日をもって鈴木絢音さんが乃木坂46をご卒業なさいます。

ちゅうど10年前が乃木坂46の2期生オーディション合格発表日ということもあり、三・二八は折々で祝福されている記念日です。尊敬する先輩方と同志たる同期たちはすでにみな旅立ち、彼女たちのしんがりを務める絢音さんが来たる新時代のための幕引きを担うといったところですけれども(ただし5月に飛鳥さんの卒コンがありますが……)、アイデンティティとかレゾンデートルのようなものが絢音さんのオタクということくらいしかない私は非常に困ってしまいます。

引退するなどとは明言なさっていませんし、おそらく芸能界?こういうお仕事に戻ってきてくださるとは推測しておりますけれども、とはいえ今後はミーグリや絢音ちゃんめだったりレターも旧来のファンレターも存在しないのではないでしょうか。

そんなわけで、このブログではTwitterなどには適さないことを書いていきたいと思います。

現在、時刻は18時ちょうど。まもなく卒セレが始まります。

10年間ほんとうに頑張りましたね。10年というと、私は『イワン・デニーソヴィチの一日』を思い出します。一番最後の頁に「このような日々を過ごしながら3653日ラーゲリにぶちこまれた。閏年のため3日のおまけをくらったのだ」みたいなことが書かれています(現在引っ越し中で英訳版しか手元になかった)。スターリン批判を行ったフルシチョフの強力な推薦もあり、1962年という冷戦の真っ只中にこの作品はNovy Mirという雑誌に掲載されます。英語にするならNew Worldです。つまり、新しい世界というわけです。ずいぶん昔からの私のお気に入りです。